探検ロマン世界遺産、2回に分けて万里の長城を巡るシリーズの一回目。
万里の長城の東端には海づたいに攻めてくる北方異民族の侵入を防ぐため、「山海関」という強固な要塞が作られた。
馬に乗り機動力に優れる異民族の攻撃を、長城からの弩(ど)の射撃によって防いだ。

長城は馬どころか人も近寄れぬような峻厳な山々をつなぐように作られているところもあり、異民族の侵入を防ぐためだけに作られたのではないことを示している。
長城の階段も山の傾斜にあわせて急になっており、若いレポーターでも上るのに精一杯だ。
あえて建設が困難なところに作ることで国威を示したり、国境線を示すという意味もあるのだろう。

場所を遙か西に移したモンゴル平原には、秦の時代に作られた長城がある。
北京付近の石で作られた長城とは異なり土のみで作られ、高さも数メートルしかない簡素なものだ。
ここの長城は公益の拠点としての意味合いもある。

このあたりに暮らすモンゴル族の家族は冬支度のため、羊を解体している。
まずは羊毛、次に内蔵、肉、血も一滴残らず集めて腸詰めにする。
野菜を撮ることの少ない遊牧民にとって、冬の貴重なビタミン源になる。
レポーターも腸詰めを食べてみたが、おいしいらしい。


新シルクロードでも内モンゴルにやって来ていたが、乾燥していて羊の食べる草がふんだんにあるとは思えない。
内モンゴルの砂漠化は、中国政府が黒河の上流にダムを造って水のほとんどを農業用水として利用しているという事実がある。
中国の人口増加は大量の食料、大量の農業用水を必要とし、すでに黄河は乾期に枯れ果てるようになってしまった。


参考リンク

探検ロマン世界遺産 第1回 史上最大 こうして城壁は築かれた 〜シリ−ズ万里の長城〜

万里の長城 ウィキペディア