B29が落とした焼夷弾で8000人ぐらいが焼け死に、名古屋城も町もすべて灰になった名古屋空襲。
その教訓から、名古屋の中心部に防火帯や市民の避難場所として作られた久屋大通公園。
しかし何を思ったか名古屋市と三井不動産が避難場所を潰し、ららぽーとを作ってしまう。

北の方の芝生エリアはいいとして、テレビ塔南のエリアは建物が密集している上に、吹き抜けがある付近は店舗の前の狭い通路を通らなくては南北に移動できない作り。
とても防火や避難等に配慮されているとは思えず、災害発生時には大変なことになると思われるのだが。

災害時想定した『公園道路』だった…名古屋・久屋大通公園の誕生秘話 地主「我々50%の土地を無償提供」東海テレビ
戦争でその4分の1が焼け野原になってしまった名古屋。復興計画として第一に挙げられたのは、災害時の防火を目的とした道路整備と、避難所確保のための公園と道路を兼ねた公園道路でした。

 つまり、市街地で大きな火災が起きた場合、広く燃え移るのを防ぐため、建物のない広いスペースを作って、避難所にしようと考えたのです。


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